楽校コラム

芥川龍之介はコンプレックスのかたまり

2014年5月7日 14:31

現在の高校の教科書に採用されることの多い作家とその作品のベスト3は、『こころ』(夏目漱石)、『羅生門』(芥川龍之介)、『舞姫』(森鴎外)だそうだ。諸君ももう、この三作品のどれかは授業で読んだかもしれない。
その中で芥川龍之介は教科書に採用される作品が多い人で、若い読者に人気が高い。
漱石(1867年慶応3年生まれ)、鴎外(1862年文久2年生まれ)が共に江戸時代の生まれなのに比べて、1892(明治25)年生まれと格段に若く、亡くなったのも35歳の若さで、著者近影も両者に比べ若々しく、親しみやすいのかもしれない。その人気は存命当時からで、作家にしては珍しく、ブロマイドまで発売されていたそうだ。アイドルスターなみである。
ただ、芥川自身は自分の顔を気に入っていなかったという。これは長い顔がコンプレックスだったからである。なにしろ、自分の子供たちに“へちま”とあだ名されていたくらいだから、常に気にしていたのだろう、決して当時の正装であったシルクハットをかぶらなかった。理由をきかれて
「私が(この顔で)シルクハットをかぶったらどうなりますか」
と真面目に答えたという。確かに、丈の高いシルクハットを芥川がかぶったら、まるで煙突のように見えたことだろう。
彼が文壇で一気に知名度を上げたのは、漱石に『鼻』を激賞されたことからだったが、これは『今昔物語』『宇治拾遺物語』にある、長い鼻をコンプレックスにしている僧の話である。作者の長い顔と、どこかで関係があるのだろうか。
さらに芥川は、出っ歯だった。これも非常に気にしていて、子供たちと一緒の写真でも、滅多に笑顔を見せなかった。教科書に載っているあの顔は、出っ歯を見せないようにと気取って撮ったときの顔なのだ。
これだけ自分の容姿にコンプレックスを持っていると、神経質な人間に育つのも仕方ないと思えてくる。自分が龍之介という名前を“たつのすけ”と呼ばれることを極端に嫌ったせいで、息子たちには比呂志、多加志、也寸志と、絶対読み間違いされない名前をつけている。子供たちも自分と同じ性格なのだから神経質に違いない、と信じていたようだ。自殺したときの遺書で、まだ幼かった子供たちに
「お前たちは父の神経質さが遺伝していることは明らかなのだから、気をつけるように」
という意味のことを書いている。しかし、三人の息子たちは神経病になることもなく、戦死した多加志以外は父よりずっと長生きし、俳優となった比呂志、作曲家になった也寸志と、共に芸術の分野で大成している。神経質な性格というより、長い顔と出っ歯を受け継がなかったからコンプレックスもなかった、ということが大きいのではないか、と思うのは、少し意地悪すぎる見方だろうか。

 
 

『芥川龍之介の顔』

<前の記事【】 次の記事【】>