楽校コラム

日本人が取ったアメリカでの特許第一号は『仕掛花火』である。

2014年9月8日 18:32

オリンピックや博覧会、さらにはディズニーランドのような商業施設での催しなど、さまざまなイベントで最近、欠くことのできない存在になってきたのが花火の打ち上げである。
https://www.youtube.com/watch?v=UB-DCCy-VQo
2014年ソチ五輪の開会式の花火セレモニーも大きな話題になった(逆に2008年北京五輪では、仕掛花火の映像が実は会場では見られない、CGだったということがわかり、ちょっと論議を巻き起こした)。世界で花火の美しさは認知されたと言っていいが、実はこれらの花火の技術は、多く日本の花火職人たちが開発したものであるという説がある。それに対し、いや、あれは海外からの技術の輸入によるものだ、その証拠に色付き花火のことを花火業界では「洋玉」と呼んでいる、という説もある。

日本の色付き花火、仕掛花火の歴史は明治時代に始まる。それまでは、大江戸の名物だった両国の打ち上げ花火も、全て単色だった。火花に色をつける技術がなかったからだ。しかし、明治維新で、諸外国から色付き花火が輸入され、日本の花火職人たちは、何とか日本でも打ち上げ花火に色をつけられないか、と頭をしぼった。その成果が発揮されたのは明治22(1889)年の、帝国憲法発布の記念式典で皇居の二重橋から打ち上げられた花火で、鮮やかな色彩と光に、東京っ子たちは大歓声をあげたという。それ以来、日本の花火は大きな進化を遂げてきた。

「花火の技術は外国からの輸入だが、その後の開発と進歩で日本は諸外国を追い抜き、いまや世界一になっている」
というのが今の所の定説と言っていいだろう。

明治時代の花火職人たちがいかに技術の習得に熱心だったかという証拠に、日本人が初めて収得したアメリカの特許が花火の仕掛に関係するものだった、という事実がある。
明治10年、横浜・高島町で花火製作の会社を経営していた平山甚太という人物で、明治16(1883)年、アメリカの特許庁に「昼花火」という、打ち上げると中から人形などが飛び出す仕掛花火の特許を出願し、認可されている。まだ日本に特許制度もなかった(特許制度の開始は明治18年)時代に、いち早くアメリカでの特許をとり、世界進出を視野においていた平山の先進性には驚かされる。

花火というのは、一瞬の芸術である。空中に描かれる一瞬の幻の光の像と、音。そこに夢をかけるタイプの人間というのは、どこか天才肌で、人より先を行く目を持っているのかもしれない。

「日本人初の米国特許 横浜の花火師平山甚太」
「花火」

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