楽校コラム

アインシュタインは日本の塩昆布が好物だった

2014年12月4日 16:15

1922(大正11)年、世界有数の科学者としてすでに有名だったアインシュタインが、当時の一流出版社だった改造社の招きに応じて来日した。その時の日本の歓迎ぶりは凄まじいものがあったようで、当時の新聞によれば、東京駅は「アインシュタイン万歳!」の声がうずまき、大変な騒ぎだったという。これは、まさに日本に向かうための船上で、博士にノーベル物理学賞の受賞の報せが届いたというタイミングのよさもあったかもしれない。
アインシュタインもこの歓迎ぶりをいたく喜び、アメリカに行ったときも歓迎を受けたがこれほどではなかった、と語り、
「これは日本人が科学を尊ぶためでしょう。ああ愉快だ、心からうれしい」
と述べている。

ただし、日本人が本当に彼の相対性理論を理解していたかどうかは疑わしい。ある出版社が来日にあわせて相対性理論の解説本を出し、大変な売れ行きを見せたが、実は大きな落丁(印刷ミスでページが飛んでしまっていること)があった。しかし、交換してくれと書店に申し込んできた人はほとんどいなかったそうだ。つまり、話題になっているからと買っては見たが、さっぱり中はわからず、落丁に気がつかなかったということである。
また、相対を「あいたい」と読んで、好きな人に会いたいという気持ちを語ったもの、つまり恋愛論だとカン違いしていた女性も多かったという。
そんな行き違いを見せながらも、アインシュタインは40日に及ぶ日本滞在を大いに楽しんで過ごしたが、日本人が驚いたのはアインシュタイン夫妻の荷物の少なさで、科学者らしい質素な生活を賞賛している。日本料理で最も気に入ったのは新橋の橋膳という店の天ぷら弁当で、ことにその弁当についていた玉木屋という店の昆布の佃煮が好物だった。この昆布はエルザ夫人も大好きだったようだ。今でも玉木屋は店頭に「アインシュタインのお気に入り」と表示してあるという。

それから10年後の1932年に来日した喜劇王チャップリンも天ぷらが大好物になったが、彼は天ぷらにしか(それもエビの天ぷらだけにしか)興味を持たなかったようだ。弁当に添えられていた佃煮を気に入る外国人もあまりないだろう。アインシュタインの質素な生活ぶりがよくわかるエピソードである。

『アインシュタインの名言』
http://matome.naver.jp/odai/2135146380619105901/2135156060828782503

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