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三十六歌仙の一人なのに素性がまったくわからない猿丸大夫

2014年5月10日 23:57

平安時代、貴族にとって和歌の教養と創作能力は出世と恋愛に不可欠の能力だった。その時代に和歌の大御所・藤原公任(ふじわらのきんとう)が歴代の和歌の名人たちから手本とすべき選抜メンバー36人を選んだ。それが「三十六歌仙」だ。大伴家持、山部赤人、小野小町、紀貫之、在原業平、など、そうそうたるスター歌人が名を連ねている。
猿丸大夫(さるまるたゆう)もその一人。『百人一首』にも、

「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」
訳/山の奥で、落ちた紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を聞くと、秋の寂しさがよりいっそう感じられる

という作品が選ばれている。ところがこの猿丸大夫、いつの時代に活躍したのか、どのような人物であったのかがまったく知られていない。
先に挙げた歌も『古今和歌集』では「よみ人しらず」となっており、本人の作かどうかもはっきりしない。『猿丸大夫集』という作品も残されているが、その中身は作者不詳の歌を集めたものと考えられている。
猿丸大夫が誰であったかについては、古くからさまざまな説がとなえられている。弓削王(聖徳太子の孫)、道鏡、柿本人麻呂(飛鳥時代の大歌人)などが正体という説もある。
ちなみに猿丸大夫を祭神とした神社もいくつかあり、その中でも京都府綴喜郡宇治田原町の猿丸神社は瘤取り(がん封じ)の効験あらたかとされている。井沢元彦の江戸川乱歩賞受賞作『猿丸幻視行』の舞台にもなった。

「三十六歌仙」
「百人一首 なぜこの人・なぜこの一首:第5番猿丸大夫」
「猿丸大夫」

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