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藤原定家、熊野御幸ではパシリ役(その2)

2014年7月1日 18:57

熊野御幸で、先発隊となった定家の苦労は大変なものだった。与えられる宿は、「三間の萱藁屋で、板敷なし」というような粗末な仮屋ばかり。その小屋さえも、自分よりも身分の高い貴族の家人たちに乱暴に奪われたりしている。あるときは案内人に頼んで、民家を手配してもらったが、屋内に入って腰を下ろしてから、家の主人が急死し喪が明けていないことがわかった。熊野御幸に参加する者は何日も前から身を清めている。あわてた定家は家来に汲ませた海水を何度も頭からかぶり、潮垢離(しおごり。海水でみそぎをすること。)の真似事をしたが、そのせいで風邪をひいてしまった。
また、日前・国懸大神宮(ひのくま・くにかかすじんぐう。現在の和歌山市にある) では、勅使として馬2頭と御幣(ごへい)を捧げたあと、社司に「遥拝(ようはい=遠くから拝む)は、御幣をとりて拝舞」(はいぶ)しろ、と言われ、舞いをさせられる羽目になった(通常は、御幣を神前に捧げ、お辞儀をするだけでよい)。さらに、その帰りには待ち伏せしていた僧侶から、日前・国懸大神宮への奉幣使(ほうへいし)は必ずこの寺により供物をあげていくと言われ、仕方なくお布施を出すが、少ないと散々文句を言われる。これには定家も相当頭にきたようで「頗(すこぶ)る比興(ひきょう=卑怯)なり」と記している。疲れていたためか定家は先発隊であるにも関わらず寝坊をしたり、長い時間昼寝をしたりといった失敗をしている。
ちなみに熊野御幸に参加した翌年、定家は中将になったが、公卿になったのはそれから9年もたった建暦元年(1211年)。すでに50歳になっていた。熊野御幸に参加した効果があったといえるのかどうか、本人に聞いてみたいところだ。

「潮垢離(しおごり)」
「日前国懸神宮 (ひのくまくにかかすじんぐう)」
「日前神宮 国懸神宮 日前國懸神宮 – 玄松子の記憶」
「御幣」
「御幣の作り方(ごへい)・御幣の作り方を動画で分かりやすく紹介」

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