日本史

京都の土蔵からお宝続々。(その2)

2014年4月24日 20:17

「山本読書室」跡の土蔵から発見された膨大な資料の中に含まれていた岩倉具視の通信秘密文は、西南戦争(※)に関するものであり、当時の状況が生々しく伝わってくる。例えば、17日間続いた田原坂の戦いの後も西郷隆盛の軍の抵抗は続き、明治政府は高知県での反乱の動きがあると感じ取っていた。士族を募集するべきかどうか、募集した場合に派遣するのは九州か高知か…、京都で開かれた閣議ではいっこうに意見がまとまらず、参議・大木喬任は「(募集を)ヨセトモ。云ワレズ。ヨスナトモ。云ワレズ」と報告している。結局、岩倉に最終決定を一任することに、当時の政権トップである太政大臣に就いていた三条実美を始め大久保利通、伊藤博文も同意したようだ。
ちなみに今回見つかった秘密通信文61通は、岩倉の破棄命令に反して秘書が保管していたもの。秘書はどのような思いで命に背いたのだろうか。
岩倉が西南戦争で使用した暗号表も発見された。暗号表は、直径12センチと10センチの大小二枚の紙製の円盤を重ねたもので、それぞれに「イ」「ロ」「ハ」などのカタカナが書かれている。小さい円盤の文字を大きい円盤の文字に変換する仕組みだが、暗号が見破られないよう文字変換のパターンは5通り用意されていた。
戦場と岩倉の双方が同じ暗号表を持ち、その時々にパターンを変え暗号文を作り、当時最新鋭の技術であった電信で岩倉のもとへ送っていた。暗号表には岩倉が実際に使用したものであると書かれている。明治政府は1869年に東京横浜間で電信線の敷設を開始し、74年には札幌から長崎まで全国主要ポイントに電信線の敷設を完了。西南戦争の際には九州の重要拠点を結ぶ軍用通信線を敷設し情報戦で圧倒したことが政府軍の勝利の大きな要因となった。戦後は一般公衆用に転用された。

※ 明治10年(1877年)に、西郷隆盛を中心とする鹿児島県士族が反乱を起こしたことで始まった。9月に西郷が自刃して終結。官軍・薩摩軍あわせて1万数千人の戦死者を出した。

「岩倉具視の暗号表見つかる  京都の私塾跡、慶喜の書状も」*暗号表の写真が掲載されています。
京都の漢学塾跡から平安~明治時代の新史料数万点見つかる
長崎~東京~札幌間の電信線網完成。

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