世界史

記憶にとどめたいオーストラリアの強制収容所

2014年5月11日 00:10

日本人にとって、オーストラリアは旅行先として人気が高い。しかし、第二次世界大戦で、敵味方に分かれて戦ったことは意外に知られていない。ましてその間、日本人や日系人が強制収容所に送られていたことを知る人はほとんどいない。大戦中、オーストラリア国内の1141人の他、フランス領ニューカレドニアやオランダ領東インド諸島(現在のインドネシア)に住んでいた人々を加えた3160人の日本人が強制収容所に送られた。収容所は、オーストラリア南東部のタツラ、ヘイ、ラブデーの3カ所にあり、それぞれにおいて少なくとも46人、39人、115人が死亡した。
同国における強制収容所の実態の解明は遅れていたが、後世に歴史を伝えるために、2014年3月6日~9日、ニューサウスウェールズ州カウラ市において記念行事が開かれた。民間の日系人の交流をめぐる公的行事はほぼ初めて。最終日には、525人の遺骨が集められた「日本人戦争墓地」で慰霊祭があり、墓地に埋葬された日本人の約半分が民間人であることを紹介する銘板が設置された(※)。
第二次世界大戦中に起こった不幸な出来事は、話題に上るものだけではないことを知っておきたい。

※従来は1944年(昭和19年)8月に日本軍捕虜の集団脱走事件があり、234人が死んだことを示す銘板しかなかった。

「このたびのたび・カウラ 日本人捕虜収容所・暁の脱走・カウラ 脱走事件」
「カウラ ― ひそやかに眠る日本の兵士たち。」

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