世界史

中世から近世にかけて、砂糖は「薬」とされていた

2014年7月1日 18:18

WHO(世界保健機関)が摂取量の半減を提言する方針を固めるなど、健康への影響が心配されている砂糖。だが、中世から近世にかけて、ヨーロッパでは砂糖は薬と考えられていた。当時はキリスト教が現在よりもはるかに大きな力をもっており、新しい食べ物を宗教的・道徳的に見て「悪」と断じることも多かった。
例えば、ジャガイモが宗教裁判にかけられたことがあったらしい。ジャガイモは根から成長する。この点が「神が定めた雌雄による生殖ではないので性的に不純であり卑猥である」とされたのだ。 裁判の結果、ジャガイモは有罪となり火あぶりの刑に処された。うまそうと思ってしまうのは現代の感覚である。
茶やチョコレートなどが初めて紹介された時には、魔力を感じるほど魅力的な味に麻薬なのではないか、という論争が常に付きまとった。
ところが、砂糖に関しては、13世紀のイタリアの大神学者であるトマス・アクィナスが「砂糖は消化促進などに効果がある薬なので、断食期間中に摂取してもよい」というお墨付きを与えたこともあり、薬として大っぴらに売買することができるようになった。断食というとイスラム教のラマダンが有名だが、キリスト教にも様々な断食期間がある。四旬節(*1)の断食の時は肉を食べてはいけない代わりに魚を食べるのはOKなど例外も多い。 こうして、砂糖も堂々と口にしても良いものになった。14~15世紀に猛威をふるったペストにも砂糖は効くとされた。16世紀の医学書の中には、「粉状にすると眼にも効くし、気化させれば風邪一般にも効く。老人の強壮剤にもなりうる」と今の目で見るとちょっと眉唾物の効能も説かれている。
ちなみに日本には753年、中国から僧・鑑真(がんじん)によってもたらされたとされる。最初の砂糖の記録は、正倉院が所蔵している『種々薬帳』(しゅじゅやくちょう。756年)に残された「蔗糖(ショ糖)」の文字である。『種々薬帳』は薬の目録なので、ヨーロッパと同様に貴重な薬と考えられていたことがわかる。日本に渡来できるようになった理由の一つにそれ以前の砂糖がシロップ状の糖蜜であったものが、精糖技術の進化で今の粒状、いわゆる黒砂糖の形となり、輸送が簡単になったことが挙げられる。
戦国時代になるとアジアからの輸入が盛んになり、消費量が増大。琉球王国(今の沖縄)では1622年にサトウキビの栽培法及び黒糖の生産法を中国から取り入れ、特産品としていった。その後もオランダ中国からの輸入品が高いシェアを占めていたが、江戸時代中期、輸入超過による金銀の流出に悩む徳川吉宗が砂糖の国産化を奨励した。中でも、熱心に取り組んだ高松藩は、天候条件が砂糖栽培に適していたこともあり、特産化に成功。白砂糖のシェア6割を占めるほどの生産量を誇るまでになった。また、高松藩は高級砂糖・和三盆(わさんぼん)を開発した。和三盆は現代でも高級和菓子などに使われている。砂糖はその後も高級品であり続け、国内で砂糖が安く誰でも大量に使えるようになったのは、近々、昭和期以降に過ぎない。
(参考 『砂糖の世界史』川北稔)

*1 四旬節:カトリック教会などで、2月上旬から復活祭の行われる3月下旬から4月上旬までの46日(四旬とは40日のことであるが、日曜日を除いて40日を数えるので46日前からとなる)の期間のこと。キリストが40日間の断食をしたのに倣って節制する。断食は、1日1回は十分な食事をしてそれ以外を少なくする。肉のほか、卵、乳製品も禁止。四旬節に入る前には、ごちそうの食いだめとして、カーニバル(謝肉祭)があり、開けたら復活祭で盛大な宴で祝う。冬の間に蓄えた食糧が乏しくなる時期をしのぐための節約の時期でもあった。ちなみに、中世では、昼夕の2食が一般的だったが、肉体労働者や婦女子、老人、病人は朝、軽い食事をしていた。これをブレックファスト(断食破り)と呼び、朝食の意味になった。

「トマス・アクィナス」
「お砂糖豆知識」
「正倉院に伝わる薬物60種のリスト 種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」

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