世界史

「砂糖ブーム」に火をつけたのはイギリス人だった

2014年7月1日 18:20

現在、イギリス人の砂糖摂取量はドイツ、オランダ、フランス、ベルギーなどの近隣諸国よりは少ない。しかし、歴史をひもとくと今日まで続く「砂糖ブーム」はイギリスで起きたことがわかる。17世紀に即位した国王チャールズ2世は、ポルトガル王室から妻・キャサリンを迎えた。一足早くアジアと積極的に交易していたポルトガル(*1)では王室でお茶を飲む習慣が定着していたため、キャサリンもこの習慣を持ちこんだ。その後、次第に紅茶に砂糖を入れて飲む習慣が王室で定着する。当時は茶も砂糖も高級品だったこともあり、これらを嗜むことは一種のステイタスシンボルになった。やがて上流階級の暮らしにあこがれる庶民の間でも砂糖入り紅茶が普及し、18世紀中ごろでは、イギリス人はフランス人の8~9倍の砂糖を摂取していた。19世紀には刑務所の囚人にも砂糖入り紅茶が出されるほどになる。
こうした砂糖は、三角貿易(*2)により、中南米からもたらされたものであることを覚えておこう。例えば、カリブ海の西インド諸島の砂糖工場では当初、現地のカリブ族が働かされたが、過酷な労働や病気でほぼ滅び、やがてアフリカから連れてこられた黒人が働くことになる。カリブ海にある島国トリニダード・トバゴ共和国の初代首相であり、歴史学者のエリック・ウィリアムズは「砂糖のあるところ、奴隷あり」という言葉を残している。
(参考 『砂糖の世界史』川北稔)

*1 砂糖とポルトガル:サトウキビの原産地は、南太平洋の島々で、東南アジアを経て、紀元前2000年ごろインドで初めて砂糖が作られたらしい。アラビア人によりペルシャ、エジプト、中国に広まった。ヨーロッパには11世紀、十字軍によってもたらされ地中海沿岸で栽培が開始された。14世紀にシチリア(イタリアの南部の島)で、次いで15世紀初頭にはバレンシア地方(スペイン東部)に広がっていった。しかし、アフリカ西海岸沿い太平洋の諸島で1460年代から、スペイン、ポルトガルがアフリカ奴隷を使ったプランテーション農業(単一植物だけを安い労働力を使って大量に生産する農業)により、大量の砂糖を安価に生産するようになると、地中海沿岸の砂糖生産は衰えた。ポルトガルはこうして砂糖の生産の大元締めとなり、新大陸にもプランテーション農業を推し進めていく。
新大陸の最初の大生産地はブラジルの北西部だった。やがて、ポルトガル領からオランダ領に、そしてまたポルトガル領に統治国が変わると、すでに世界を股にかけた商業ネットワークを作っていたオランダ人が率先して仲介し、生産者はカリブ海のイギリスやフランス領に移り、やがて、カリブ海域が砂糖生産の中心地になり、覇権はポルトガルから失われていった。
砂糖生産には膨大な労働力が必要で、新大陸各地で地元民族を使い果たすと、アフリカの黒人奴隷を大量に必要に連行して働かせることになる。

*2 三角貿易:17~18世紀のヨーロッパ諸国が行っていた、ヨーロッパ本土とアメリカ大陸および西インド諸島とアフリカ大陸を三角形に結ぶ大西洋上の貿易。工業製品をアフリカにもってゆき、アフリカから黒人奴隷を積み込んで西インド諸島や北米大陸に運び、そこから砂糖、たばこや綿花などの産物を積み込んでヨーロッパに戻る。特にイギリスは巨利を得て、産業革命の推進の原資とした。

「三角貿易」
「三角貿易」関係図
「世界史講座のまとめ①アメリカとアフリカの悲劇」
「トリニダード・トバゴ共和国」

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